◆太宰府天満宮の由来
小さな時から才能に恵まれた菅原道真は右大臣にまで登り詰めました。
しかし、901年、左大臣の藤原時平らの策略により、北九州の大宰府に左遷されてしまいます。
その後、903年、大宰府で亡くなりました。
北九州にあった安楽寺に道真を葬るため、道真の遺体を乗せた牛車が安楽時に行った時、安楽寺の門の前で牛車が動かなくなりました。
その理由が「ここがいい。」という道真の遺志と考え、安楽寺の境内に廟を建立し、天原山庿院安楽寺と命名しました。
その後、平安京で疫病や異常気象などが発生し、6年後には道真を左遷した藤原時平が39歳の若さで亡くなりました。
疫病や異常気象、時平の死去は、道真の怨霊の仕業と言われるようになり、醍醐天皇の命令で道真の墓所の上に社殿を建立しました。
これが、安楽寺天満宮の由来です。
中世からは、道真が優れた才能を有していたことにあやかり、学問の神として信仰されるようになりました。
明治の神仏分離令により社名が変更され、官幣中社の太宰府神社になりました。
現在は、大宰府天満宮という名称になっています。
祭神は、天満天神こと菅原道真です。
ここでクイズです。全国にある天満宮の総本社は、太宰府天満宮と北野天満宮のどちらでしょう。
答えられる人は少ないかもしれません。
答えは、
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両宮は由緒が異なり、どちらも総本社とは言えません。
このことから、天満宮に総本社はなく、代わりに天神信仰発祥の地というものがあるのです。
◆御霊信仰について
道真が亡くなった後、藤原時平一族に不幸が起こり、さらに皇太子保明親王が21歳で、慶頼皇太子が5歳で死去したしました。
930年、清涼殿に雷が落ち、多数の死傷者が出ました。
宇多天皇も床に伏した後、亡くなったのです。
このようなことがあり、道真は無実と認められ、太政大臣追贈などが行われたのです。
また、清涼殿の落雷により、道真の怨霊は、京都北野の地主神である火雷天神(からいてんじん)と結びつき、雷神とみなされました。
このような怨霊は、御霊信仰と言い、道真以外にも平将門、藤原広嗣、崇道天皇などの怨念を祀る信仰があります。
御霊を鎮めれば、異常気象などの災害が亡くなり、平和に暮らせるという信仰です。
現在は、朝廷に苦しめられていた人がうさを晴らすため、吹聴したものと見なされています。
◆太宰府天満宮の見どころ
・頭をなでると頭が良くなると言われる牛の像
菅原道真は牛が大好きでした。
牛が好きと言っても、牛丼やすき焼きではなく、牛と一緒に居ることが好きだったのです。
だから、天満宮の神使は牛であり、牛にまつわるものが多くあります。
・梅酒
大宰府に行くとき、「東風(こち)吹かば 匂ひおこせよ 梅の花 あるじなしとて 春な忘れそ」と道真は歌いました。
道真が居なくなっても、春を忘れないで梅の花を咲かせるんだよという意味です。
この和歌にちなんで、御神酒も梅酒なのです。もちろん、立派な梅の木もあります。
・梅ヶ枝餅
大宰府天満宮周辺には、老舗和菓子店がたくさんあります。
天満宮内にも梅ヶ枝餅が販売されています。
お土産用にも販売していますが、お茶屋さんでいただく梅ヶ枝もちは、
外側がパリッとしていて、中はふわふわでとても美味しいまんじゅうです。
天満宮に行ったら、色々な和風スイーツを楽しみたいですね。
◆太宰府天満宮の基本情報
住所:福岡県太宰府市宰府4-7-1
電話番号:092-922-8225
アクセス:西鉄太宰府駅から徒歩5分
太宰府天満宮公式サイト
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