◆青島神社の由来
古代、青島は島全体が神聖視され、江戸時代まで立ち入りが出来ない禁足地でした。
沖に浮かぶ島が常世国への入り口と、また島が神そのものである神奈備と見なされたからです。
青島神社社伝によると、山幸海幸神話で、山幸彦が海神(わだつみ)の宮から帰った時、青島に宮を作ったので、その宮跡に山幸彦とその妻・豊玉姫、塩筒大神(しおづつのおおかみ)を祀ったとなっています。
平安時代、日向国国司の巡視記「日向土産」に、青島大明神という名前が出てくることから、平安時代には既に神社があったと考えられています。
文亀3年(1503年)、伊東尹祐により再建されました。
再建以降。伊東氏の飫肥藩により篤く信仰され、6回の社殿の造営・改修や境内の保全が行われました。
また、飫肥藩時代では、島奉行が任命され、島内の樹林や磯辺を監視させたり、牛や馬を渡に渡すことや鉄砲の使用を禁じたりしました。
元文2年(1737年)までは、入島は神職と島奉行のみに限られ、村民達は対岸の尖浜(現在の青島海水浴場)で参拝していました。
◆青島神社の祭神について
天津日高彦火火出見命(あまつひだかひこほほでみのみこと)とその妻・豊玉姫命(とよたまひめのみこと)、そして塩筒大神(しおづつのおおかみ)が祭神になっています。
天津日高彦火火出見命は山幸彦の正式名称です。日本書紀では彦火火出見尊(ひこほほでみのみこと)、古事記では火折尊(ほおりのみこと)とも呼ばれます。
ここでは、ホオリと略します。
ホオリは、ニニギとコノハサクヤヒメの子として生まれました。
コノハナサクヤヒメが懐妊した時、これを夫のニニギに報告しましたが、ニニギは喜びませんでした。
結婚してすぐに懐妊したので、自分の子ではなく、国津神の子ではないかと疑われたのです。悲しんだコノハナサクヤヒメは、「この子がニニギの本当の子なら生き残るでしょう。」と言い、大きな産屋に入り、入り口をふさぎ、中に火をつけました。
燃えさかる火の中で出産し、火照命(ホデリノミコト)、火須勢理命(ホスセリノミコト)、ホオリの兄弟が生まれました。
火が盛んに燃えて照り輝いている時に生まれたので火照命(ほでりのみこと)などと名付けられたのです。
火照命は略してホデリと呼ばれ、海幸彦の事です。
そして、海幸彦と山幸彦の神話の通り、山幸彦が豊玉姫と結婚し、さらに海幸彦を支配するようになります。
山幸彦は天皇の祖先、海幸彦は薩摩隼人の祖先と言われています。
塩筒大神(しおづつのおおかみ)は、海幸彦の釣針を失くし、悲しんでいる山幸彦の前に現れます。
ホオリから事情を聞き、小舟に山幸彦を乗せ、「そのまま進めば良い海神(わだつみ)の宮に着くから、宮の前の木の上で待っていれば、あとは海神が良いようにしてくれる」と告げます。
塩筒は「潮つ霊」「潮つ路」であり、塩筒大神は、潮流を司る神、航海の神です。海幸彦と山幸彦の神話でも、塩筒大神は、山幸彦に情報を提供し、とるべき行動を示すという航海士的な役割を演じています。
また、製塩の神としても信仰されています。
◆青島神社の見どころ
表参道を抜けると、宮崎随一の海水浴場が現れます。
最初に目につくのは、幸せの黄色いポストで、山幸彦と豊玉姫が恋文をやりとりしたことから、縁結びのシンボルとなっています。
年齢を問わず人気スポットとなっています。
ここでは意中の人に手紙を出しましょう。
砂浜から神社まで、約800mあります。
トゥクトゥクに乗ることもでき、南国リゾート気分を味わうことができます。
夏は暑いから歩くのもツライですね。
天然記念物「鬼の洗濯板」を横に見ながら弥生橋を渡ると、亜熱帯性植物が群生する青島に到着します。
樹齢300年以上のビロウ樹が島を覆うように生い繁り、まさに南国。
本殿を参拝後、横に密かに存在する小道の絵馬のアーチをくぐりましょう。
亜熱帯の樹木がうっそうと繁ったジャングルをくぐりぬけると「本宮」につきます。
島の中央の本宮付近は、弥生式土器や勾玉などが出土しており、古代祭祀が行われていたと推定されています。
元宮の脇にある夫婦ビロウに、「産霊紙縒(むすびこより)」を結びましょう。
願い事によって色が違いますが、「良縁」を願う場合はピンクのこよりです。
◆青島神社の神事
青島神社は、10月18日に祭を行ないます。
これ以外にも有名なお祭りがたくさんあります。
旧暦の3月16日には春祭りが行われます。
昔は、春祭りから月末まで、一般の入島が許されていました。
このため今でも「島開き祭」と呼ばれています。
旧暦の6月17、18日は夏祭りが行われます。
対岸の折生迫まで神輿が渡り、白浜海水浴場 から漁船に乗せ、青島を2周し、折生迫漁港のお旅所に1泊し、還御する神幸祭です。
成人の日には、山幸彦が海宮から帰ってきた時、村人が服を着る暇もなく出迎えた故事にちなんだ裸祭りが行われます。
旧暦の12月17日の夜半から夜を徹して、地域の若者が真裸になって参拝していた祭りが成人の日に行われるようになりました。
寒中での禊も行われます。
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