◆鵜戸神宮の祭神
鵜戸神宮の主祭神は、日子波瀲武鸕鷀草葺不合尊を主祭神(ひこなぎさたけうがやふきあえずのみこと、ウガヤフキアエズ)です。
相殿には、アマテラス(大日孁貴)、オシホミミ(天忍穂耳尊)、ニニギ(彦火瓊々杵尊)、ホオリ(彦火々出見尊)、神武天皇(神日本磐余彦尊、かむやまといわれひこのみこと)が祀られています。
これらの祭神の間には、以下のような関係があります。
オシホミミは、アマテラスとスサノオの誓約で生まれ、タカミムスビの娘ヨロヅハタトヨアキツシヒメとの間にホアカリとニニギをもうけました。
天孫降臨の際、オシホミミに降臨の命令が下りますが、オシホミミはニニギに行かせるよう進言し、ニニギが天下ることになりました。
ニニギの子であるホオリは山幸彦として知られ、豊玉姫との間にウガヤフキアエズを設けています。
これらの神様を地神5代と言います。
そして、ウガヤフキアエズと玉依姫との間に生まれたのが神武天皇です。
◆ウガヤフキアエズの誕生と鵜戸神社の由来
ウガヤフキアエズの誕生は、海幸彦と山幸彦が活躍する日向神話に記されています。
古事記では、ホオリは猟師の山幸彦、兄のホオリは漁師の海幸彦と言います。
ある日、山幸彦と海幸彦は、互いの道具を交換しました。
山幸彦は海幸彦の釣針で魚を釣ろうとしましたが、全く釣れず、さらに釣針を海の中に無くしてしまいました。
海幸彦は、山幸彦が釣針をなくしたことを責めました。
山幸彦が海辺で悲しんでいると、海神ワダツミの使いが来てワダツミの宮殿へ行くことになりました。
ワダツミの宮殿で、ワダツミの娘・豊玉姫は、山幸彦に一目惚れをしました。
ワダツミも、山幸彦が天津神ニニギの子であると知り、すぐに山幸彦と豊玉姫とを結婚させました。
山幸彦は、実にワダツミの宮殿で三年も過ごしたのです。
ふとしたことで山幸彦は、海幸彦の釣針を無くしたことを思い出しました。
するとワダツミは魚を集め、釣針を探しました。
すると、真鯛の喉に引っかかった釣針が見つかりました。
ワダツミは、釣針と鹽盈珠(しおみちのたま)・鹽乾珠(しおひのたま)を山幸彦に与え、「この釣針を兄に返す時、『この針は、おぼ針、すす針、貧針、うる針』と言いながら、手を後に回して渡しなさい。」と言いました。
おぼ針、すす針、貧針、うる針とは、憂鬱になる針、心が落ち着かなくなる針、貧しくなる針、愚かになる針という意味です。
さらに、「海幸彦が高い土地に田を作れば、山幸彦は低い土地に、海幸彦が低い土地に田を作れば山幸彦は高い土地に田を作りなさい。
海幸彦が攻めて来たら鹽盈珠で溺れさせ、許しを請うたら鹽乾珠で助けなさい」とも言いました。
そして、山幸彦をワニ(鮫)に乗せ、地上に送りました。
山幸彦は、ワダツミに言われた通り釣針を返し、田を作りました。
ワダツミは水を自在に操り、海幸彦の田に水が行かないようにしました。
その後はワダツミが予想した通りとなり、海幸彦は降参しました。
ちなみに、海幸彦は隼人の祖となっています。
豊玉姫は、ワダツミの宮で懐妊しました。が、天神の子を海中で産むわけにはいかないと考え、陸に上がりました。
浜辺に産屋を作ろうとし、茅草の代わりの鵜の羽を葺き終えないうちに産気づいてしまいました。
豊玉姫は、「他国の者は子を産む時、本来の姿になります。
私も本来の姿で産むので、産屋に籠る100日間は、絶対、中を見ないように」と山幸彦に言いました。
山幸彦は、その言葉を不思議に思い、99日目にとうとう産屋の中を覗いてしまいました。豊玉姫は、八尋和邇(やひろわに)に姿を変え、蛇のようにうねっていました。
山幸彦は恐れて逃げ出しました。
豊玉姫は、山幸彦に覗かれたことを恥じ、生まれた子を置き、海に帰ってしまいました。
生まれた子は、ウガヤフキアエズと名付けられました。
この産屋が鵜戸神社の由来となっています。
また、境内にはウガヤフキアエズの墓とされる吾平山上陵という古墳もあります。
ウガヤフキアエズ生誕の地であり、縁結び、夫婦和合、子授け、安産などを祈願する人々の信仰を集めています。
◆鵜戸神宮の歴史
前述したように本殿が鎮座している岩窟は、豊玉姫がウガヤフキアエズを産むために産屋を建てた場所です。
崇神天皇の時代、岩窟には地神5代の神々(アマテラス、オシホミミ、ニニギ、ホオリ、ウガヤフキアエズ)と神武天皇の6柱が祀られ、「鵜戸六所権現」、「鵜戸大権現」と称されました。
推古天皇の時代には、岩窟内に社殿が建立され鵜戸神社と名付けられました。
平安時代以降、海にそびえる奇岩があることから修験道道場となりました。
また、中世以後、領主の伊東氏により崇められ、社殿の建て替えなどが継続して行われてきました。
◆亀石、お乳岩について
本殿の前には亀石という霊石があり、豊玉姫がワダツミの宮からこの地に来る際に乗っていた亀が石に変わったものです。
石頂に枡のような穴が開いているので枡形岩とも呼ばれ、その穴に男は左手、女は右手で運玉を投げ入れると願いが叶うのです。
その昔、お金を投げ入れていました。
しかし落ちたお金を拾うため、崖を降りる子供が現れたのです。
戦後は、このような子供がたくさんいました。
そこで賽銭の代替として鵜戸小学校の児童らによって作られた運玉が使用されるようになりました。
運玉は、粘土を丸め、運の文字を押し、そのまま焼いたものです。
また、本殿裏には、乳房に似た2つの突起があり、お乳岩と呼ばれています。
豊玉姫がワダツミの宮に帰る時、子のために乳房をつけたものです。
ウガヤフキアエズは、ここから落ちる水で作られた飴を母乳の代わりにしました。
パワースポットとしても大変人気があり、運玉を投げて願いを叶えてください。
◆鵜戸神宮の基本情報
住所:宮崎県日南市大字宮浦3232
電話番号:0987-29-1001
アクセス:油津駅からバスで30分、車で20分
鵜戸神宮 公式サイト
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