富岡八幡宮 / 東京

富岡八幡宮

◆富岡八幡宮の由来

1627年(寛永4年)、菅原道真公の末裔といわれる長盛法印が神託を受けます。

富岡八幡宮

長盛法印は夢でお告げを受け、道眞が彫ったとされる八幡の神像を江戸のしかるべき場所に安置するため、京都から関東へ下りました。

江戸をくまなく歩き、まだ人のいない深川のあたり、永代島の一角にしかるべき祠をみつけました。

長盛法印は、広大な湿地を埋め立て、三年後の寛永四年、埋め立てだけでなく社殿建築もおわり、深川に町の基礎ができました。

これが富岡八幡宮になります。

富岡八幡宮

その後、八幡神を崇敬した徳川将軍家の保護を受けました。

また、庶民からも「深川の八幡様」として親しまれた。

◆深川八幡祭り

寂しかった漁師の村は、富岡八幡が出来た後、開発が一気にすすみ、木場や問屋の集中する有力な町に成長しました。

深川は経済力で日本橋に迫る江戸第二の賑わいとなり、富岡八幡宮の本祭りも豪勢な神輿が出る大きなイベントになりました。

八幡神の祭りは、当初、船祭りでしたが、八幡宮が建ってから19年めの寛永20年、陸の祭りとなりました。

徳川将軍の若君の健康を祝する神事・祈祷を八幡宮で挙行したことを機に、神輿が出ました。

隠居していた豪商・紀伊国屋文左衛門の奉納で、八幡祭りのシンボル・三基の総金張り巨大神輿が渡御するようになりました。

祭礼の人出は急増し、永代橋が人の重みで崩れ落ちる事態まで起こりました。

富岡八幡宮 神輿

信仰にあつい住民の熱意、文左衛門が奉納した巨大神輿以外にも、神輿行列に鳶職の木遣りが加わり、辰巳の花町から辰巳芸者の手古舞が繰りだしたので、大きな人気を得ました。

辰巳芸者が神輿と担ぎ手に水をかけるので、「水かけ祭り」と呼ばれ、担ぎ手が上半身裸になるので通称「裸祭り」とも呼ばれました。

深川の夏祭りが東京最大のイベントとなった絶頂期、大正12年に、関東大震災が発生し、大神輿は焼失してしまいました。

その後、長らく神社に神輿は存在しませんでしたが、1991年(平成3年)に高さ4.4m・重さ4.5tの大神輿が、当時佐川急便会長の佐川清氏により改めて奉納されます。

この神輿は大きいだけでなく、純金や宝石をあしらった豪華なものでしたが、大きすぎて担ぐことが難しく、1997年(平成9年)、一回り小さい二宮神輿が奉納されました。

現在、八幡祭りではこの二宮神輿が担がれています。

大神輿は午前9時から午後5時まで自由に見学可能です。

3年に1度、八幡宮の御鳳輦が渡御を行う本祭りが行われて合計120基の町神輿と、50基以上の大神輿が勢揃いして深川の町を練り歩きます。

富岡八幡宮

◆横綱力士碑と大関力士碑

富岡八幡宮では、寺社奉行の許しを得て1684年(貞享元年)に初めて勧進相撲が行われました。

現在の大相撲の前身となる江戸勧進相撲発祥の神社として知られています。

現在でも新横綱が誕生した時、境内で奉納土俵入りなどの式典が行われます。

境内には、横綱力士碑と大関力士碑があり、明治時代に歴代横綱と大関を顕彰するために造られました。

富岡八幡宮 力士

横綱力士碑は、第12代横綱・陣幕久五郎(じんまくきゅうごろう)の起案で建立され、初代横綱・明石志賀之助(あかししがのすけ)~67代横綱・武蔵丸関のしこ名が刻まれています。

大関力士碑は、歌舞伎役者・5代目尾上菊五郎と9代目市川團十郎が寄進した仙台石を用いて造られました。

初代大関雪見山(ゆきみやま)など104人の名前が刻まれています。

◆富岡八幡宮の基本情報

住所:東京都江東区富岡 1-20-3
電話番号:03-3642-1315
アクセス:営団地下鉄東西線「門前仲町」駅より徒歩3分、都営地下鉄大江戸線「門前仲町」駅より徒歩6分、JR京葉線「越中島駅」駅より徒歩15分、JR「東京」駅より車で15分、東京駅丸の内北口発(東22・東20系統)錦糸町駅前行、錦糸町駅前発(都07系統)門前仲町行「富岡一丁目」下車 徒歩2分
富岡八幡宮 公式サイト