柴又帝釈天 / 東京

帝釈天

柴又帝釈天の由来

柴又帝釈天は通称で、正式名称は経栄山題経寺と言う日蓮宗のお寺です。
寛永6年(1629年)、日忠上人により開山され、
開山に際し経済的な負担をした開基は日栄上人です。

日栄上人は、葛飾柴又に立ち寄った際、素晴らしい松の木に気を留め、
近づいてみると松の木の下に霊泉が湧いていました。
日栄は、師の日忠に開山を仰ぎ、葛飾柴又に庵を建立しました。
これが柴又帝釈天の由来になっています。
瑞龍の松の下に御神水が、昔も今も変わることなく湧き出ています。

仏教の二大護法善神の一つ・帝釈天

帝釈天はバラモン教のインドラと同じ神様であり、古代インドの世界観である須弥山の頂上である忉利天(とうりてん)にある善見城に住み、四方は配下の持国天、増長天、広目天・毘沙門天の四天王により守られています。

阿修羅とも闘ったことがある武神でしたが、仏教に取り入れられると、
お釈迦様が悟りを開く前からお釈迦様を助け、説法を聴聞したので、
「梵天」と共に仏教の二大護法善神になっています。

帝釈天 門

法華曼荼羅について

なんで日蓮宗のお寺に帝釈天が祀られいるのか不思議に思いませんか。

日蓮宗は、もともと天台宗から派生しています。
禅宗、念仏宗も天台宗から派生していますが、
これらの宗派は天台宗を多かれ少なかれ否定し、新たな宗派を開きました。
これに対し、日蓮宗は、あまり天台宗を否定していないのです。

宗祖日蓮は、天台密教や止観(座禅の前身となる瞑想)、
念仏修業よりも法華経が大切であると説き、
その題目を唱えることで国家が安泰すると考えただけです。

また、日蓮宗では、密教の曼荼羅を、法華経を守るという構図に変え、
法華曼荼羅を作り上げています。
この曼荼羅の中には帝釈天を守る毘沙門天が居り、
柴又帝釈天では、毘沙門天と帝釈天が同一視されたものと考えられます。

庚申信仰と縁日

帝釈天参道

陰陽五行説によると、十干の庚(かのえ)と十二支の申(さる)が共に陽の金は陽(よう)の金(ごん)となり、金気が増し、人の心が冷酷になりやすいと言われています。
そこで、昔から庚申の夜を守庚申と称して、謹慎して眠らずに過ごすなどしていました。

昔、この寺には宗祖日蓮が刻んだ帝釈天の板がありましたが、紛失してしまいました。
9世住職の亨貞院日敬の時、本堂を修復したところ、なんと帝釈天の板が見つかったのです。この板が見つかった日が庚申であったことから、
60日に一回巡ってくる庚申の日を縁日にしています。

富士信仰につながる観音菩薩坐像

柴又帝釈天には室町時代の観音菩薩坐像があります。
この仏像は、もともと富士山頂に奉納されていましたが、
明治の神仏分離政策により富士山頂から降ろされ、当寺に鎮座しています。

法華教の説話を描いた彫刻

法華経の中には色々なたとえ話があり、法華七喩と言われています。
このたとえ話を絵にした彫刻が柴又帝釈天にあるので必見です。
三車火宅(さんしゃかたく)、長者窮子(ちょうじゃぐうじ)、三草二木(さんそうにもく)、化城宝処(けじょうほうしょ)、衣裏繋珠(えりけいじゅ)、髻中明珠(けいちゅうみょうしゅ) 、良医病子(ろういびょうし)というキーワードで調べると内容がわかるので、調査してから彫刻を見ると有難さが倍増です。

寅さん 柴又駅前

柴又帝釈天の基本情報
住所:東京都葛飾区柴又7-10-3
電話:03-3657-2886
アクセス:京成線「柴又駅」下車。徒歩3分
拝観時間:9:00~16:00
柴又帝釈天公式サイト