鶴岡八幡宮 / 鎌倉

鶴岡八幡宮の由来

源頼信は、石清水八幡宮で八幡菩薩を源氏の氏神として崇めました。
頼信の子・頼義が前九年の役を平定後、石清水の八幡菩薩を鎌倉由比郷(現材の材木座1丁目)に勧請し、社殿を建立しました。

鶴岡八幡宮

源頼朝が鎌倉を本拠地とした時、鶴岡八幡宮若宮がある小林郷に八幡宮を遷しましたが、
建久2年(1191年)、新宮若宮の社殿が大火で焼失してしまいます。

この復興にあたり、大臣山に上宮(本宮)を造営し、改めて石清水八幡宮護国寺を勧請しまし、上宮・下宮からなる鶴岡八幡宮が誕生しました。

鎌倉幕府滅亡後も、源氏の氏神である鶴岡八幡宮は武士全体から崇敬され続けました。

1526年、鶴岡八幡宮の戦いで社殿が焼失しましたが、北条氏が再建。
1828年には、江戸幕府11代将軍徳川家斉により本殿等が造営されています。

ちなみに、宇佐八幡、石清水八幡、鶴岡八幡を三大八幡と言います。

祭神について

鶴岡八幡宮では、応神天皇、比売神、応神天皇の母・神功皇后を
八幡三神として祀っています。

神功皇后は、夫の仲哀天皇が急死してしまい、201~269年、夫に代わり政治を行いました。九州南部の熊襲(くまそ)を討伐後、住吉大神の神託により、子供(応神天皇)を胎に宿したまま朝鮮半島に出兵し、新羅、高句麗、百済を征伐しました。

また、比売神は三韓征伐に参加した宗像氏の祭神・宗像三女神で、
応神天皇と共に祀られています。

鶴岡八幡宮 社殿

八幡神について

総本社、宇佐八幡宮の社伝に、応神天皇が八幡神となって顕現したと記されているので、
現在の神道では、八幡神は応神天皇の神霊となっています。
しかし、これには物言いが付いていて、八幡神の出自はいまだに議論されています。

九州の宇佐国造である宇佐氏の氏神や宇佐を支配下に置いた大神氏の氏神とする説や
三韓征伐で発生したとする説、
人工的に作られた神様とする説、
渡来人・秦氏の氏神とする説、
秦氏が新羅から勧請した辛春神とする説など、たくさんあります。

出自がわかっていないのに、庶民から信仰を集めている謎の多い神様です。

鶴岡八幡宮の名所まとめ

鶴岡八幡宮の名所をまとめてみました。

・参道「段葛」
源頼朝が妻・北条政子の安産祈願のため作られました。長さは2㎞あります。八幡宮に近づくほど道幅が狭くなっているので、より長く見えます。

鶴岡八幡宮 参道

・「源平池」
源氏の池には島が3つと縁起が良く、平氏の池には島が4つと縁起が悪く作られています。

・旗上弁財天
平家打倒の旗揚げに際し奉納された弁財天です。
弁財天には、色々な神徳がありますが、戦いの神様でもあります。

・舞殿
下拝殿とも呼ばれています。
絶世の美女であり義経の妻の静御前が舞を踊った舞殿です。
現在では舞殿で神前結婚式を挙げることもできます。

・「鶴岡八幡宮」の御神木・銀杏
樹齢1000年と言われる大木でしたが、2010年の大風で倒れてしまいました。
残った根の部分から新たな芽が生えています。

やはり戦に関連したものが多いですね。

鶴岡八幡宮の基本情報
住所:神奈川県鎌倉市雪ノ下2-1-31
電話番号:0467-22-0315
アクセス:JR鎌倉駅東口より徒歩10分 江ノ電鎌倉駅より徒歩10分
鶴岡八幡宮公式サイト