◆ 金閣寺について
金閣寺の正式名称は北山鹿苑寺(ろくおんじ)で、臨済宗相国寺派総本山・萬年山相國承天禅寺(まんねんざんしょうこくじょうてんぜんじ)の12ある山内塔頭(たっちゅう)の1つです。
山内とは寺の敷地内にあると言う意味です。また、塔頭(たっちゅう)とは、禅寺での師や高僧が死んだ後、弟子が師の徳を慕い、寺や名刹(有名な寺)の近くに建てた塔や庵などの小院の事を言います。
この鹿苑寺の舎利殿は、建物の内外に金箔を貼った3層の楼閣建築となっています。
第1層は公家由来の寝殿造、第2層は鎌倉時代の武家の書院造、第3層は禅宗の仏堂風の造りで、異なる様式を組み合わせた建築は、当時、とても斬新で、北山文化を代表するものとなっています。
金箔は、二層三層に貼られています。
舎利殿とは、仏の遺骨を安置する堂のことで、舎利殿の金閣寺が有名なので、鹿苑寺もまた金閣寺と呼ばれています。
◆ 金閣寺の由来
北山は京都の北側の山々を指す場合と現在の金閣寺が存在する京都市北区金閣寺町周辺を指す場合があります。
この地域は、鎌倉時代の公卿、西園寺公経(さいおんじきんつね)が所有していました。
この土地を室町幕府3代将軍足利義満が譲り受け、山荘・山殿を造りました。
この山荘は、壁に金箔が貼られ、当時の極楽浄土の姿でした。
義光の死後、義満の遺言により寺になりました。
義満の法号・鹿苑院太上天皇から鹿苑寺と名付けられ、夢窓疎石を名目上の開山としています。
◆ 夕佳亭
夕佳亭(せっかてい)は江戸時代の茶道家・金森宗和が建てた数寄屋造りの茶室です。
当時の住職・鳳林承章(ほうりん じょうしょう)」が庭園の修復を行った時、後水尾天皇に庭園を見て頂くため、お茶に招待しました。
このために使用された天皇を迎えるための茶室なのです。
「この茶室から見る夕方が特に佳(よ)い」という意味で、夕と佳の字が取られ命名されました。
小高い場所にあり、夕暮れ時に眺める金閣が夕日に映え非常に美しいです。
正面にある床柱は有名な「南天の床柱」で、南天と呼ばれる樹木でできています。
南天を使用した国内最大の柱になっています。
この茶室の裏には、豊臣秀吉の重臣・宇喜多秀家(うきたひでいえ)が再建した不動尊があります。
金閣寺の境内の建物は、何回も火災で焼失しているので、この不動尊は金閣寺の境内では最も古い建物になっています。
◆ 鏡湖池を中心とした庭園
鏡湖池(きょうこち)を含む庭園は、境内(約4万坪)の半分以上を占めています。
現在は、禅宗式の池の周囲を歩いて回る池泉回遊式庭園になっています。
鏡湖池には池の中に葦原島、鶴島、亀島など大小の島があります。
また室町時代には足利義満に取り入ろうとした諸大名が競って石を奉納したので、畠山石、赤松石、細川石などの奇岩名石が巧みに配置されており、これらには諸大名の名前が残っています。
こうして九山八海(くせんはっかい)を表した池となっています。
九山八海とは、インド人の世界観である須弥山を取り囲む9つの山と8つの海の事を言います。
つまり、自分自身の心の中にあるミクロコスモスの事です。
この庭園を回ると、心の中が浄化され、仏の世界に近づけるかもしれませんね。
◆ 西園寺の面影
冒頭にも記しましたが、この地は、鎌倉時代は藤原公経(西園寺公経)の所有地で、西園寺がありました。
鏡湖池の奥の高台へと続く小路付近には銀河泉、巌下水などの清水が湧いています。
また中国故事の「滝を登った鯉は龍になる」を龍門瀑( りゅうもんばく )の石組もあります。
安民沢(あんみんたく)という池は、西園寺の頃から残る古池で、中島には西園寺家の鎮守・白蛇の塚である石造五輪石が祀られています。
◆ 金閣寺(鹿苑寺)の基本情報
住所:京都市北区金閣寺町1
電話番号: 075-461-0013
アクセス:市バス「金閣寺道」下車
金閣寺 公式サイト
音が出るサイト↓
http://www.shokoku-ji.jp/flash/flash.html
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