◆三峯神社の由来
景行天皇が、国を平和にするため、日本武尊(やまとたけるのみこと)を東国に遣わした時、ヤマトタケルは山梨県から群馬県を経て、碓氷峠に向かう途中で埼玉県の三峰に登りました。
ヤマトタケルは、三峰の山川の美しさを見て、イザナギとイザナミによる国生みを偲び、三峰に神社を建立し、イザナギとイザナミを祀りました。
これが三峯神社になっています。
そして、景行天皇が東国を巡行した際、神社を囲む白岩山、妙法ヶ岳、雲取山の三山の美しさに感動し、三峯宮の社号を授けたました。
現在、三峯神社、秩父神社、宝登山神社を秩父三社と言い、人々の信仰を集めています。
◆祭神について
三峯神社の祭神はイザナギとイザナミです。
古事記の国生み神話の概要は以下の通りです。
『高天原の神々は、イザナギとイザナミに「漂っている国をつくり固めよ」と命じ、天の沼矛(ぬほこ)を授け、国づくりを任せました。
イザナギとイザナミは、天の浮橋という空に浮かんだ橋に立ち、沼矛を下ろしてかきまわしました。
泥矛を引き上げた時、矛から落ちた潮が積もり重なり島になりました。
この島をオノゴロ島と言います。
このオノゴロ島に、イザナギとイザナミは天の御柱(みはしら)と八尋殿(やひろどの)を建てました。
そしてイザナギは、イサナミと国を生むお約束をしました。
天の御柱を廻った時、イザナミが先に声を出します。
すると、不完全な水蛭子が生まれます。
二神は葦(あし)の船に乗せて流しました。次も不完全な子供である淡島(あわしま)を生みました。
二神は、高天原に行って、神々に相談します。
占いにより、女性が先に言葉を話したのがよくないことがわかります。
こうして、オノゴロ島で、再び天の御柱を同じように廻りました。
今度は、イザナギが先に声を出しました。
言い終わった後に生んだ子は、淡路島、四国、隠岐、九州、壱岐、対馬、佐渡、本州を生みました。
国を生み終えたイザナギとイザナミは、石の神、土の神、海の神、風の神、山の神、穀物の神などを生みましたが、火の神を生んだことでイザナミは命を落としてしまいました。』
◆狼信仰について
神の使いとして重宝されている動物を神使(しんし)やつかわしめ、眷属(けんぞく)と言います。
この神使には、様々な動物が居ます。
伏見稲荷大社の狐や金毘羅宮は蟹などが有名ですが、百足やミツバチなど変わった動物が神使になっている神社もあります。
三峯神社の神使は狼です。
とても変わった神使ですが、全国には狼・山犬を祀る神社がそれなりにあり、三峯神社はその代表格となっています。
もともと狼は田畑を荒らす猪や鹿などの害獣を駆逐してくれたので益獣とみなされてきました。
そして害獣を退けることから、悪や魔を噛み砕く神として崇められ、山の神と同一視されることもありました。
山の神は、火、多産、豊穣の神とみなされ、狼もまた火災防止や安産、五穀豊穣の神として信仰をあつめたのです。
このため三峯神社の狛犬は狼になっています。
◆三峯神社の見所
三ツ鳥居
鳥居が三つ繋がった珍しい鳥居があります。三輪鳥居とも言います。
随身門、石灯篭の参道を通ると拝殿が見えてきます。
拝殿の装飾は、とても精巧で、色合いもかなりカラフルです。
拝殿の前には大きな御神木があり、触れることもできます。
龍神
拝殿の左横の石畳は水で濡れると赤目の龍が浮かび上がる仕掛けがあります。
雨の日でなくても龍が見れるように、水と柄杓が用意されています。
奥宮
片道1時間半の低山登山になりますが、奥宮まで行く事ができます。
鎖場もあるのでそれなりの装備で臨みたいですね。
◆三峯神社の修験道
三峯神社では、伊豆に流罪になった役小角が三峰山で修業をし、空海が観音像を安置したと伝えられています。
中世以降、日光系修験道の道場として、関東各地の武将から崇敬を受けました。
日光系の修験道は、澄み切った景色を持つ山頂に行き、澄んだ心を掴む禅定をおこないます。
男体山をはじめ丹沢、高尾山、箱根など関東各地に道場を持ち、これを統轄していたのが日光修験団体です。
三峰修験は、正平7年(1352年)、足利氏と仲が悪くなり、一時衰退してしまいます。
1500年頃、修験者の月観道満が、三峰山修験の衰退廃寺を知り、1533年に堂舍を再興させました。
さらに、山主の龍栄が京都の聖護院に窮状を訴え、「大権現」の称号を頂きました。
これ以降、聖護院派天台修験の関東総本山とされて隆盛しました。
本堂は観音院高雲寺と称し、三峯大権現と呼ばれました。
◆三峯神社の基本情報
住所:埼玉県秩父市三峰298-1
電話番号:0494-55-0241
アクセス:秩父鉄道の三峰口駅から西武バスに乗り換え終点の三峯神社へ。
三峯神社 公式サイト
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