◆深川不動堂の由来
深川不動堂は、千葉県成田市にある大本山成田山新勝寺の東京別院です。
古くから「深川のお不動様」と親しまれています。
開創は元禄16年で、成田山の御本尊を江戸に奉持し、特別拝観したことに始まります。
この御尊像は、弘法大師自らが敬刻開眼された物で、現在、深川不動堂で奉祀する御本尊はその分霊を勧請した分身です。
成田山新勝寺の御本尊である不動明王像は、平安時代初期、嵯峨天皇の勅願で弘法大師自らが敬刻し開眼しました。
その後、京都の高雄山神護寺に安置されていました。
そして、将門の乱を神仏の力で鎮めるため、東国の下総国成田に遷座されました。
江戸時代中期、成田山は庶民の信仰対象として高い人気を得ます。
生活にゆとりができた商人が盛んに成田詣をするようになったからです。
また、歌舞伎の市川團十郎丈が、子供に恵まれなかったので、成田山の不動明王に祈願し、二代目團十郎を授かりました。
以来、市川家は、代々篤く成田山を信仰しています。
このように成田山の不動信仰は江戸庶民の中に広く浸透していきました。
元禄16年(1703年)、第一回出開帳が富岡八幡宮の別当寺・永代寺で行われました。
本尊の不動明王像を成田山から運び、江戸の人々に公開したのです。
5代将軍綱吉の生母・桂昌院も参拝しました。
以降、出開帳はたびたび行われ、大勢の庶民が押し寄せ、大いに賑わいました。
不動信仰が盛んになる中、信徒講社が結成されました。
1つは日本橋の魚市場、米屋町を中心とした深川佐賀町の米市場、木場、蛤町の講社で、もう1つは蔵前の札差、米問屋に加え、俳優・花柳界・鳶からなる浅草方面の講社でした。
明治元年(1868年)、神仏分離令と廃仏運動が起こり、信徒講社は永続的な御旅所を確立するため、深川への移転を主張し、成田山に熱心に働きかけました。
その結果、たびたび出開帳を行った現在地に、不動明王の分霊が正式に遷座されました。
明治14年(1881年)、深川不動堂の名で堂宇が完成しました。
大正12年、関東大震災が発生し、本尊や諸仏は僧により運び出され難をのがれましたが、諸堂伽藍は全て焼失しました。
数年間、境内整備もままならず、仮本堂の状態が続きました。
その後、信徒の熱望と浄財により、昭和3年(1928年)、本堂が再建されました。
昭和20年(1945年)、東京大空襲で深川は焼け野原となり、不動堂の堂宇もことごとく焼失してしまいました。
御本尊は僧により焼失を免れ、成田山の光明堂へ遷座されます。
再建に向け、成田山に深川不動堂本堂建立事務局が開設され、準備が進んでいきました。
占領下の日本では建築面積等に制限があり、計画通りに本堂を建立することができませんでした。
そこで、千葉県印旛郡の天台宗龍腹寺地蔵堂を移築し、これが譲渡寄進され、昭和25年、深川不動堂が甦りました。
◆深川不動堂の見所
不動明王は、煩悩を焼き尽くし、悟りへと導いてくれる仏様です。
また、心願成就(願い事が叶うこと)、勝負必勝、立身出世、商売繁盛、家庭円満、病魔退散(病気にかからないこと)の御利益があります。
境内にある深川龍神は、水の神を祀っている水場です。
龍から水が流れ落ち、そこに龍神願い札を浮かべてお願いします。
願いの銅鑼(どら)があり、願い札を水鉢に入れた後、銅鑼を2回叩くと良いことがあります。
深川不動堂の本堂は、2011年(平成23年)に新造されました。
外壁には不動明王の真言が梵字で刻まれています。
堂内は、本尊、両童子や四大明王が安置されています。
旧本堂はかつての本堂です。
現在の本堂が完成するまで、本尊の不動明王が安置されていました。
現在は、区内最古の木造建築で、江東区の指定登録文化財に指定されています。
内仏殿は、旧本堂の後ろの建物で、本尊以外の諸仏を祀っています。
天井に描かれている大日如来蓮池図(だいにちにょらいはすいけず)は日本最大級の天井画です。
開運出世稲荷は、本山の成田山新勝寺に鎮座する成田山開運出世稲荷の分霊を祀っています。
開運や出世のご利益がある神社です。
◆深川不動堂の基本情報
住所:東京都江東区富岡1-17-13
電話番号:03-3641-8288
アクセス:東京メトロ東西線「門前仲町」駅1番出口より徒歩2分
都営地下鉄大江戸線「門前仲町」駅6番出口より徒歩5分
深川不動堂 公式サイト
http://www.fukagawafudou.gr.jp/about/index.html
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