榛名神社 / 群馬

榛名神社

榛名神社の由来

前橋市の北東には赤城山、北西には榛名山、西には妙義山があります。
これらを上毛三山(じょうもうさんざん)といいますが、これらの山々はすべて神奈備であり、それぞれの山にはそれぞれの神様が居ました。

赤城山を祀る神社は赤城神社、妙義山には妙義神社、榛名山には榛名神社があります。
上毛三山は、古来から山岳信仰の霊場だったのです。

神奈備であった山は、山自体が神聖な場所でした。
神武天皇の子・二代目の綏靖天皇の頃、ニギハヤヒの子のウマシマジが、山中で神籬(ひもろぎ)を立て天神地祇を祀りはじめまた。

祭神について

榛名山

もともとは榛名山の神奈備が祭神そのものでした。
明治以降、祭神は火の神であるカグツチ(火産霊神)と、土の神であるハニヤス(埴山姫神)となり、水分神、高オカミ神、闇オカミ神、大山祇神、大物主神、木花開耶姫神も合祀されています。

水分神(みくまりのかみ)は、水源地や水路の分岐点に祀られる水を配分する神様です。

高オカミ神、闇オカミ神(くらおかみのかみ)は、カグツチが化成した神様です。

イザナギがカグツチを斬ったとき、刀の血から闇オカミ神(くらをかみのかみ)と闇ミツハ神が化成しました。
日本書紀には、このとき高オカミ神も生まれたと記されています。
高オカミ神、闇オカミ神の両神は水の神ですが、高オカミ神は山の上の方の水、闇オカミ神は谷川などの水の神様です。

大山祇神(オオヤマツミ)は山の神、大物主神は大国主の和魂、木花開耶姫神(このはなのさくやひめのかみ)は、木の花のように繁栄させる神様です。

榛名神社

延喜式神名帳に上野国十二社として記された式内社で平安時代から大きな神社だったことがわかります。
中世以降、満行宮という御霊信仰の神社となります。

無罪なのに流罪となった満行というお坊さんが流されてきました。
榛名池に身を投げてしまうのです。
すると、お坊さんは大蛇に変わり、京都の内裏で雷神として帝に祟りをもたらしました。

こうして本地仏が勝軍地蔵である満行権現(まんぎょうこうげん)が祭神になりました。
『榛名山志』には、東殿・饒速日尊(ニギハヤヒ)、中殿・元湯彦命(満行)、西殿・熟真道命(ウマシマジ)と記され、この3柱をまとめて満行権現と称しています。

その後、南北朝の動乱により、満行宮は衰退していき、榛名山寺と称する寺院になってしまいます。
なんと徳川家菩提寺・寛永寺の末寺にまで落ちぶれてしまったのです。

明治の神仏分離令で、仏教色が排除され、名称も榛名神社に戻りました。

榛名神社の見どころ

榛名神社は、参道が奇岩の多い沢に沿って建立されているので、巨岩や奇岩がたくさんあり、山岳信仰の霊場として栄えた名残が残っています。
そのため、絵になる風景がたくさんあります。

①随神門
寺院だった頃、仁王像が飾られた仁王門だったものです。
今は社殿や神社を守る神様である随神が居ます。

榛名神社

②みそぎ橋
榛名川を渡る橋で、ここから参道が始まります。

③七福神
参道には、毘沙門天、寿老人、布袋、福禄寿、恵比寿、弁才天、大黒天の順に七福神が現れます。

④塞神社 (さいのかみしゃ)。
塞の神は、厄や災いの侵入を防止します。

➄鞍掛岩(くらかけいわ)
アーチ状になった奇岩です。

⑥東面堂(とうめんどう)
岩の中に須弥檀が設けられ、秘仏の千手観音像が安置されていました。

⑦矢立杉(やたてすぎ)
杉の巨木で武田信玄が戦勝祈願のため矢を射立てた伝説があります。

千年杉

⑧瓶子(みすず)の滝
錫でできている酒器をみすずといいます。滝の落ちている両脇の岩が瓶子(みすず)に似ているのでみすず岩と呼び、みすず岩から落ちている滝がみすずの滝です。

➈双龍門・鉾岩
切り立った岩の近くの断崖にある厳かな神社です。

⑩本殿・御姿岩(みすがたいわ)
本殿と御神体の御姿岩は合体しています。

⑪国祖社
勝軍地蔵と阿弥陀仏を安置していた本地堂として使用されていた建物です。

⑫茶屋「みそぎ屋」などの社家町
こんにゃくを食べる所です。
江戸時代、榛名講などの参拝者のための宿坊が立ち並び、神社前に社家町(しゃけまち)が形成されていました。
現在、宿坊は宿ではなく食事処になっています。

榛名神社

榛名神社の基本情報
住所:群馬県高崎市榛名山町849
電話番号:027-374-9050
アクセス:JR高崎駅西口より、群馬バスで本郷経由榛名湖行きに乗車。榛名神社前下車。徒歩15分。
榛名神社 公式サイト